一昨日(10月15日)は、第4回 観光まちづくりセミナー に参加してきた。
最初に観光まちづくり研究会座長の三上恒生氏がこのセミナーの開催主旨の説明と、「自然系観光地のキャリングキャパシティ」についての問題点等の話の後、立教大学観光学部の安島博幸先生の「観光地の環境容量」についての話と、筑波大学大学院生命科学研究科の伊藤太一先生の「富士登山の歴史と現在」についての話があり、その後質疑や意見交換がおこなわれた。
安島博幸先生の「観光地の環境容量」のお話は、観光地の環境レベルを維持できる訪問者の最大人数(容量)をどう考えるか、観光客の過剰増加によって環境悪化を招いた事例等の紹介と、環境を維持・向上させていくための適性量とは、入場制限やマイカー規制、有料化等、どのような手段が必要かといったものだ。
伊藤太一先生には、多くの登山客とゴミで問題になっている富士山の歴史を分かりやすく紹介して頂いた。
富士山には、江戸時代以前の昔から多くの登山客、それも登山家でもない、もちろんまだ登山家自体がいなかった時代なのだが、一般の人々が大勢訪れていたという。これだけの高い山で、大勢の人が登るというのは、世界でもまれな山であるということだ。
また、富士山は江戸時代の頃からすでに大変汚れていたということだ。もちろん缶やビニール袋ではない。そう、人の排泄物だらけだったようだ。
ところで、驚くことに富士登山(富士講)が江戸時代にはパッケージツアーになっていたということだった。江戸まで行って富士登山者の予約を取り、江戸から富士登山の旅にかかる宿や山小屋、強力(登山者の荷物を背負い山の案内に立つ人)等、それまではその都度それぞれにかかっていた費用を、まとめて手配し、一括して徴収して、そうした富士講ツアーを商売にしていたということだ。まさに、江戸時代に富士登山の旅が、今のパッケージツアーのように商売になっていたというのにはちょっと驚く。
富士曼荼羅図(室町時代末期)
< 観光地の環境容量と開発方法 >について
観光地の活性化を、訪問者数の増加や経済的効果とは単純には考えられないが、一般的には域外の人をどれだけ多く招き、長く滞在してもらい、お金を少しでも多く落としていってもらうかということがその観光地の活性化と考えられやすい。また、その観光地の環境の維持と向上のための、その観光地が受け容れられる人数や車等の適性量を
考えた時、その条件はそれぞれの観光地によって変わってくる。
都市型観光地は、既にある程度インフラ等の環境が整っているので、自然型観光地と比べて全ての面で環境容量は大きい。しかし、自然系の観光地においては、観光客の集客数が増えれば増える程、それに反比例して環境が損なわれることになるのが常である。観光客の増加や観光地として発展したことで、逆に魅力が損なわれてしまい、衰退してしまう事例も多い。そんな事態を招かないためにも、その観光地の環境容量を踏まえた対策や開発の在り方、景観づくりが重要となる。
特に自然系の観光地においては、人が訪れること自体や、それに伴う外部からの侵入による影響を受けやすいので、そこの自然環境レベルの維持や向上のためには、まずそれに必要なインフラの整備と、来訪者の人数制限や進入可能エリア制限等の対策が不可欠だと思う。また、そうした自然環境を維持していくためには、その環境を管理していくことも必要であり、それにはやはりそれなりの費用も必要となる。
つまり、国立公園など自然の豊かな観光地(環境エリア)には、そこを訪れたい人々にも協力をお願いして、その観光地の環境容量範囲での人数制限や入場条件の付加、入場料等の有料化が必要である。
また、観光地側としても、その環境や魅力を損なわない施設づくりや環境づくりが重要であり、そのための景観条例や開発規制等も必要だと思う。
権田 功
「とはいえ、観光客が少なくこれから活性化したいという地域には関係ないように思えるかも知れないが、これから活性化を考える上でも、より魅力的な環境(観光地)を造っていくためにも、当初より考えていくべきである。」