塩田津は長崎街道の宿場としてと陶磁器やその原料となる天草陶石などの積み下ろしを行う川港として発展してきたという。川港としては昭和8年を最盛期に、海上輸送から鉄道輸送にと移ってゆき、昭和52年まで営まれてきたとのこと。
不思議に思った人もいることだろう。塩田宿だったり塩田津だったり、なぜなのかと私自身も当初から考えていたが、塩田宿は前記の様に港(津は船舶が来着する所。特に、船つき場や渡し場に対して、物資が集散し、集落が形成された所。港町。 の意)としても栄えていたことから塩田津とも呼ばれているということだ。
ここ塩田宿は、伝統的建造物群保存地区(平成17年)に指定された地域としてこれからの伝統景観の復元までにはまだだいぶかかりそうだ。毎年数棟の建物が復元されていくようだが、単に街並み景観の復元だけでなく、同時に楽しく過ごせる街としても整備していってほしい。