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膝関節内視鏡手術  永振クリニック  <4>                 2010.1.10

膝関節内視鏡手術  永振クリニック  <1> の記事から読む


膝関節内視鏡手術を終え、
私が病室のベッドへ戻った後も、点滴は続けられている。
麻酔が切れ、水や食物が食べられるようになるまでは点滴が続けられる。
麻酔の影響を身体から少しでも早く取り除くためにも沢山の水分の補給が必要で、一日2リットル以上をとるように言われた。

麻酔が切れるまでの時間も個人によってそれぞれのようだが、私の場合は11時ごろには足先が動くようになってきて、昼前には水を少し飲んでも大丈夫かということもあり一口の水を飲んでみた。
麻酔の影響が内臓に残っていると、水を飲むと気持ちが悪くなったり、吐いてしまったりといったことがあるようだが、私の場合は問題なかったので、その後は水やお茶もOKとなり、昼食もベットで普通に食べることができた。

体温はというと、手術日の朝の膝関節内視鏡手術の前には35.9度(普段から少し低い)、手術後の昼には37.0度、夕食前には37.8度、手術翌日の朝は37.0度、昼には36.8度と翌日の昼まで微熱が続いた。そして、夕方からは36.3度とほぼ平熱に戻った。

点滴も手術翌日の午前中まで続けられ、それまではベットからも離れられなかった。


膝術後写真 300.jpg
膝関節内視鏡手術の痕<術後18日>
(抜糸した後の様子、上の絆創膏は膝への注射痕
/汚い脚で御免なさい)




膝関節内視鏡手術  永振クリニック  <3>                 2010.1.2

膝関節内視鏡手術  永振クリニック  <1> の記事から読む


私の場合、膝関節内視鏡手術自体は5分ぐらいで、その前の準備や麻酔の時間で、それでも30分はかからないぐらいだったろうか。

手術前には、手術中の血圧を測るのだろう、血圧計を取り付け測定を始める。
次に、点滴をうち、内視鏡手術を実施する所定の位置へ。(永振クリニックでは移動診療台に乗せられたまま、それぞれの処置をする場所を移動しながら進めていく)

麻酔は腰からの右足だけの部分麻酔。
手術する側を下に横になり、膝を抱え込むように腰を曲げ、腰から麻酔注射が打たれると、スッと冷たい間隔で麻酔液が腰へ広がった。麻酔はつま先の方から効いてきて、右足全体に麻酔がかかるのに10分ぐらいだった。
麻酔の後に右足全体を消毒するが、肌をこする感覚は、麻酔が効いてほとんど感覚の無くなった足には暗黒の中をピリピリと電気のしびれがかすかに走る感覚だった。
麻酔の効いた右足は、消毒の時は足先を上に持ち上げられていたような感じがしたが、後はずーっと膝を曲げているような感覚が続いた。

その後は全く感覚はなくなり、何時膝に穴が開けられ、何時内視鏡手術が始まったのかも分からないままに終わっていた。

手術が終わったようだったので、先生にどんなものを取り出したのかお伺いすると、看護婦さんが横まで持ってきて見せてくれた。(主だったものは、半月板の欠片が二つ)

膝関節内視鏡手術終了、私はその台のまま病室へ移動し、ベッドへ移動。


膝治療 730.jpg



新年明けまして おめでとうございます。                    2010.1.1


2010賀状 600 .jpg


昨年中は大変お世話になりました、
なかなか更新できないことも多く、
せっかくいらして頂いた方には不愉快なことも多いかとも思いますが、
今年も色々なテーマについて、できる限り書いていきたいと思っておりますので、
よろしくお願い致します。



膝関節内視鏡手術  永振クリニック  <2>                2009.12.26

膝関節内視鏡手術  永振クリニック  <1> の記事から読む


明日は退院(手術後丸2週間が過ぎた)してから2度目の診察を永振クリニックに受けに行く。
ほとんど痛みはないが、まだ傷口が何となく気になり、手術をしていない左膝の様な訳にはいかない。もちろんまだ90度以上は曲げられないし、階段も普通に上がり降りはできない。

23日に永振クリニックまで1回目の診察に行ったのだが、膝にたまった血を少し多めの34tを抜くことになった。入院中は14〜16tだったので、ほぼ倍いの量だったのは、退院後少し無理をしたということか。明日はどのくらいの量の血を抜くことになるか。


膝図 360.jpg
私の場合も変形性膝関節症ということだったが、多くは女性の高齢者が圧倒的に多いようだ。

永振クリニックにおいては、私の手術の日も13人の患者の手術を行ったが、10人が女性で、70歳前後の人がほとんどだった。

膝の痛みの原因は、半月板や軟骨が傷つき、すり減って、欠片が膝の中にあるために痛みが起こるといったことが多いようだ。
そうした、膝の半月板や軟骨が欠ける原因は、運動や転んだことによる怪我や老化によるもの等があるようだ。

私の場合は、半月板に亀裂が入っていたので、その亀裂の部分を取り除く手術を実施した。

母の場合は、レントゲンでも膝の中に小豆大の軟骨の欠片が確認できたので、その欠片と痛んでいる半月板や軟骨の部分を取り除いた。













膝関節内視鏡手術  永振クリニック  <1>                2009.12.17

しばらく更新できなくて申し訳ありませんでした。
初めての入院・手術(膝関節内視鏡手術)を経験して、本日予定通り退院してまいりました。


昨年の秋頃より右膝が、胡坐をかこうとして膝を曲げ開こうとすると、膝の内側に痛みが走るようになり、春までの間、胡坐をかくことができないでいました。

今年の春先の京都旅行のあたりにはピークとなり、京都のお寺さんの階段を下る時には痛い右膝が大変気になり、そこをかばうことで痛くない方の左足までも疲労がたまり、実はちょっときつい京都の旅でした。

ところが、京都から帰り気候も益々暖かくなってきた頃、膝の痛みが消えてきたではありませんか。
しばらくすると、歩いたり階段の上がり降りの時にも痛み気にならなくなり、何とか胡坐もかけるようになりました。
このまま良くなるかあなと思って夏を過ぎましたが、膝下を外側にひねると内側に痛みが走ります。
また冬になり寒くなってくると昨年のように痛くなってくるかな・・・、といった不安。


DSCF2348-t-r 膝図.jpgそして、男衾の母はもうかなり前から膝が痛いと言っていたので、10年前にも永振クリニックに行って診てもらうように提案したのだが、その時は実現しなかった。
それからもずーっと母は膝が痛そうだったので、それもあり私も行くということで誘って一緒に診察を受けに行くことになった。

母の状態はだいぶ悪かったので、レントゲンを観た瞬間に
「これは、ここの欠けた欠片を取り除かないと痛いですよ。」と即答だった。

私の方と言えば、レントゲンではほとんどわからない状態で、後日MRI検査を行って、その結果を診てということになった。そして結論は、手術を受けたわけである。右膝の半月板の一部に亀裂が診られたので、その部分を取り除いた方が良いということになった。

普通の場合、多くの人が私くらいの痛みが少ない時には診察も受けない人が多く、我慢できなくなってからでないと治療に行かない。

若先生も「もっと早く来れば、もっと良くなるのに…」と言っていた。

私自身も、簡単な手術と言ってもやはり受けないで済むなら手術は受けたくないのが本音。ところが、このままで運動をすると更に状態は悪化しますよということで、母と一緒に内視鏡手術を受けることにした。


レインボーたわし ― ケアセンター明日花 ―  サデコショップ        2009.11.9

(社)埼玉デザイン協議会が、2009年10月30日(土)に川口市にあるスキップシティにオープンしたサデコショップ(SADECO SHOP)で扱っている授産施設商品のレインボーたわしを紹介する。

たわし 360.jpg たわし解説 360.jpg


レインボーたわし、そう、花のように綺麗なナイロン製のたわしである。
周りがナイロンの布で、中に薄いスポンジの入ったものを今までよく使っているが、このレインボーたわしを使ってみると、汚れの落ちが違う。レインボーたわしの方がはるかに良く茶渋などが落ちる。

実際にビフォー・アフターを見せられないのが残念であるが、洗剤を使っても落ちなかったカップの茶渋がレインボーたわしで洗剤も使わずに綺麗に落ちたのである。

正に、環境に優しいたわしであるので、ぜひ多くの人たちにも使ってほしい。



松本宗貴 名物裂の小物・絹衣展 2009                  2009.10.22


松本宗貴 名物裂の小物・絹衣展 2009
日程 2009年11月10日(火) 〜 16日(月) 11:00 〜 17:00
会場 北本市朝日 2−238 ワコーレRG北本A1008


私のサイトでも紹介させて頂いている、松本宗貴先生の展示会が開催される。
日本の伝統的名物裂が、形を変えてより魅力的なバックや小物に生まれ変わった製品を
ぜひ直接手にとって観てほしい。


松本宗貴 名物裂の小物・絹衣展 600.jpg


松本宗貴 名物裂の小物・絹衣展 案内 600.jpg



第10回 鴻有志工芸展 2009  高田哲司                2009.10.16

私のサイトでも紹介している高田さん(木工房 やまめ屋)が参加して毎年秋に開催される展覧会です。
ぜひ会場にいらして、素晴らしい作品の数々をお楽しみください。

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第10回 鴻有志工芸展 2009
( おおとりゆうしこうげいてん )
2009年10月22日(木)〜25日(日) AM10:00〜PM5:00(最終日PM4:00まで)
西洋料理 MayKiss メイキッス 2F ギャラリー
鴻巣市本町 4−9−27  TEL.048−542−4953




世界逸産 JAZZ LIVE 長慶寺のジャズライブ 2                2009.10.5

img002.jpg   世界逸産 JAZZ LIVE 長慶寺のジャズライブ 2

   出演   世界逸産
   メンバー 五十嵐一生(Tp) 吉澤はじめ(Pf) 
        荒巻茂生(B)   本田珠也(Ds)

   日時    11月15日(日)午後4時 開演  
   会場    長慶寺  東松山市神戸 1678  
   チケット代 3,000円(1ドリンク軽食付)
   問い合わせ 0493−35−4301


1年5か月ぶりの友人のところでの世界逸産によるJAZZ LIVEである。会場は前回と同じ、東松山市の神戸にある長慶寺というお寺である。

前回以上に彼らの熱いハートに浸る時間が楽しみである。

彼ら世界逸産のファンの方々、ジャズの好きな方々は、ぜひ参加してほしい。
参加希望(要予約)及びお問い合わせ方は上記のところまでご連絡を。

田舎の寺のモダンな木造空間で開催されるジャズコンサートも素晴らしいものだ。



父の思い出 曼珠沙華 マンジュシャゲ                    2009.9.13

DSCF1921-h 400.jpg駅までの畦道に曼珠沙華の花が咲いた。
毎年曼珠沙華の花の咲く季節になると、亡くなった父を思い出す。

父には、小学生の頃から休みの日にはおにぎりを持ってよく奥武蔵や秩父の方にハイキングに連れて行ってもらった。
兄や父の職場の若い子を連れて,毎週のように出かけていた。

母はというと、出かける日の朝は早起きをしてお弁当のおにぎりを作ってくれるが、母自身は家に残って留守番をしているのがいつもだった。
「私は山歩きは疲れるから、家に居るのが一番。」といったような言葉を言っていたように思うが、母が山歩きには一緒に行かないのが何の疑
                               問もなく当たり前のことに思っていた。

勿論その時々のことも思い出になってはいるが、写真があるせいだろう、集まったのに遠くには行けなくなってしまい、家の近くの雑木林に行っておにぎりを食べた時のことが特に心に残っているのを不思議に思っている。
その日は、残念に思いながらも家の近所の林でのお弁当も意外と楽しかったので、よけい良い思い出になっているのかもしれない。

子供の頃は、友人が遊園地に連れて行ってもらった話を聞くととても羨ましい気がしたものだが、我が家ではそれは考えられないことだった。
大人になってからは、子供の頃にたくさん自然の中に連れて行ってもらったことを本当にありがたく思っている。

私が高校生、兄が大学生の頃になり、父と一緒に山歩きに行く機会がなくなると、父も一時は近所を歩くだけになった。
私が大学時代だったろうか、父が雲取山(標高2,017m)に行きたいということで、父一人で登らせるのは少し心配になり、兄と私が一緒に久しぶりに三人で雲取山へ登った。
雲取に向かう尾根道を、父が後から黙々と歩いてくる姿と私自身の前の尾根道の景色が今もまぶたに残っている。

その雲取登山を機会に、父はその後雲取山に通うようになるとともに、一人で奥武蔵や秩父の山々を毎週のように歩き始めた。六十歳の頃には、週末には暗いうちに家を出て、一日40キロ以上を歩いてきた。雲取山には春に秋に、シャクナゲの咲く頃には山荘の主からお誘いの葉書をいただくこともあり、本当に毎年楽しみに出かけていた。

私が結婚して何年目のことだったろうか、家内の家族と一緒の行った尾瀬歩きが、私にとっては晩年の父と行った思い出の山歩きの旅だ。

兄は、結局晩年の父の夢であった北海道の大雪山山系の旅が最後になってしまったが、その旅が実現できたことは本当に良かったと思う。兄は、父をサポートするのに当初から兄の友人と二人体制を考えていた。ところが、なかなか友人とのスケジュール調整がつかず、ただ月日が過ぎて行ってしまうので、結局父と兄の二人で出掛けることになった。兄一人のサポートは、帰ってからの話でも相当大変の様だったが、その時に実行したことで父の大雪山の夢をかなえることができたので本当に良かった。

父はその翌年肝臓癌が発覚し入院。
毎週40キロ以上を歩いていた元気な父としても、突然の病院生活は思いもかけないことだったろう。
毎年50キロコースへの参加を楽しみにしていた東松山スリーデーマーチの日に、来年を楽しみに病院のベットで過ごす父の姿は、看病する私にはとても悲しかった。

父は入院から3ヶ月後にこの世を去った。享年七十六歳。

そして、父の遺品の手帳の中に父の好きだった「曼珠沙華」を詠んだ句があった。
そんな父のために、父の墓石の周りに曼珠沙華を植えた。毎年季節になるとその曼珠沙華の花が鮮やかに咲く。

七回忌の年には、父の遺骨を持って兄と二人で、父を偲んで久しぶりに雲取山に登った。
雲取山荘は新しくなり昔の面影はなかったが、頂上付近の避難小屋には昔の面影が偲ばれた。
兄と二人、亡き父の面影を偲び雲取山の頂上を後にした。



職業研究 インタヴュー:垣野内成美/漫画家                 2009.8.12

娘の高校では夏休みの課題「総合学習」において、職業研修ということで自分の希望する分野の仕事をしている人にインタビューをする、といった体験学習が行われている。

その仕事をしている人が、実際にどんな進路を経てその職業に就いたのか、実際に仕事についてからの苦労ややりがいは、現在はどんな問題や感想を持っているのか、といった生の声を直接取材することによって、今後の進路の方向や学習方法に参考にするためだ。

娘はアニメのキャラクターやイラストを描くことが好きで、将来そういった方向の職業の参考にと
漫画家の垣野内成美先生にインタビューをお願いした。

垣野内先生ほどの有名な漫画家の先生に娘の依頼に答えて頂けるかということが、少し心配だったが、有難いことに快くお引き受け頂けた。
それには、学校の方も少し驚いたようだったとのこと。

 1470a.jpg      DSCF1797 360.jpg
  アニメ・薬師寺涼子の怪奇事件簿
 (原作 田中芳樹)

gasyu 260.jpg垣野内先生は、かなり特殊な経歴をお持ちの方だ。高校を卒業してアニメの専門学校に入学するも、直ぐに東京の作画スタジオに上京就職(大阪出身)をしてしまい、専門学校で勉強しているよりも職場で実際の仕事として覚えていく道を選んだという。
つまり、専門学校へも行かず、美術系の大学へも行かず、職人の道に多いように高校を卒業してすぐに就職して仕事をしながら技術を身につける道を選んだことになる。大工さんや鮨職人には当然それまでに経験や才能が有るとか無いとかは割りと無関係に、職場に入り実際の仕事をしながら技術を覚えていくというのが当たり前になっているが、アニメや漫画の世界は、専門学校や美術系の大学で基礎的なことは学んでからの方が良いのではと思ったが、実際は才能があれば学校に行かなくも漫画家としてデビューできてしまう世界なのかも知れない。
アニメスタジオの場合などはある程度絵の才能がなければ雇ってもらえないだろうと思うので、垣野内先生は自分では謙遜していたが、高校時代にそれなりの才能がお有りだったのだろうと思う。
それにしても、高校を卒業して、大阪から東京のスタジオへ飛び込むくらいだから、かなりの「やる気と勇気と信念」がなくてはできないことだと思う。
  吸血姫 美夕 シリーズ


DSCF1815 360t.jpg昨今、漫画家志望の若者が多い中、垣野内先生の様な経歴で成功された方の例はほんの一握り、否他にほとんど聞かないことだと思う。もちろん成功されている方たちは、一般の凡人とは違うので、それぞれ驚きの人生を歩んでこられた方が多いのかも知れないが。

小説家と同じように、漫画家等も自分の作品を出版社に持ち込んでデビューできるような才能のある人は別として。直接デビューできるほど才能はないが、その世界のことが好きなのでそうした仕事に就きたいと思っている一般の人はどうしたらいいのだろうか。

昔は漫画家。そしてそのころからの漫画家予備軍のアシスタント。今は更にその周辺職業に、紙媒体の漫画から、動画・アニメーションへと広がり、その関係でアニメーター、キャラクターデザイナー、作画監督、アニメ監督等々、制作方法もアナログからデジタルに、二次元表現から三次元表現(3D)になるなど、必要な技術も時代とともに変わってくる。

とはいえ、必ず必要なのはセンス・感性であることには変わりはないと思う。

垣野内先生の場合は、アニメーターからキャラクターデザイナー、そして漫画家、更に今ではイラストレーター、監督としても活躍されている。

高校生がこれからこうした分野の職業を目指す時、進路としてはどう考えたらいいのか。

垣野内先生曰く、先生自身が今になって思うこと、もっと色んなことを勉強しておけば良かった。何しろその時にやるべきことをしっかりとやっておくこと。それは必ず後になって役に立つと思う。

垣野内先生が現在少し残念に思っていることは、大学生活を送った経験のないことだそうだ。当時大学に通っていた友人の大学に連れて行ってもらったことはあるとのことだったが、キャンパスライフを送ったことがないので、それが残念とのことだった。

34sakuranokinosh_r1_c1.jpg垣野内先生の経験からの言葉によると、やろうと思ったことを実現させようとする「やる気と努力」。そして、へこたれない心とやり遂げる力が大切とのことだった。


今回、お忙しい中親切に対応頂いた垣野内成美先生には心よりお礼申し上げます。

娘にとってあこがれの垣野内先生にお会いでき、直接お話をうかがうことができたことは、心に残る経験っとなったことと思います。

並びに、大変お世話になったアートコレクションハウス株式会社のM氏にも心よりお礼申し上げます。
  桜の樹の下で/上部分 (2007年 リトグラフ)




鎌倉  鎌倉大仏                              2009.7.4

先週末に鎌倉に行く機会を得た。3年ぶりの鎌倉大仏様との対面である。

大仏-1.jpg

梅雨空の合間の薄曇りの、とても旅行日和の一日だった。鎌倉は週末ということもあり、観光客でにぎわっていたが、中でも外国からのお客さんが3年前よりも増えているように見えた。

鎌倉の大仏は、奈良の大仏とともに我が国を代表する二大大仏の一つである。奈良の大仏は木造建築としては世界一大きな大仏殿の中に鎮座している。それに比べ、鎌倉の大仏は屋外の青空と緑に囲まれた開放的な空間に鎮座する姿が印象的だ。奈良の大きな大仏殿の中に、厳かに座る太い大仏も好いが、自然の中に静かに座る鎌倉大仏の清々しさが何とも好い。

DSCF1438 400-256r.jpgもともと鎌倉の大仏も大仏殿の中に座っていたということだが、建物は災害のために倒壊してしまいそれ以後は建設されないままになってしまったという。1243年に完成したといわれている大仏自体も、奈良の大仏の大きさが18mということから考えても、当初作られた鎌倉大仏は24mものかなり大きな木造の大仏だったようだが、それも嵐で倒壊してしまい、15年足らずで今の青銅製(約13m)のものに生まれ変わったと言う。
そんな鎌倉大仏の波乱の歴史を知らなければ、青空の下、緑に囲まれた青銅色の鎌倉大仏は、その姿が当然のように自然なことの様に思っていた。

とはいえ、鎌倉大仏についての資料はほとんど残っておらず、多くの部分がわからないままだという。




 京都 桜めぐり ― 4                           2009.4.8

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せっかく清水に泊まっていたので、4月1日は清水寺へ朝の散歩に出かけた。
その朝は茶碗坂を清水寺に向かって真っすぐに向かう。早朝なのに清水寺の向う観光客も数組いた。とはいっても早朝の清水寺は昨夜の人出が嘘のように静かだった。清水に泊まったメリットを生かせた心に残る時間だった。
清水寺から産寧坂、小学校の方へ曲がって、清水坂から宿に戻る。

 今年も産寧坂の桜は昨年の桜と同じように美しかった。


RIMG0084 350-466s.jpg今回も京都を歩いて非常に残念に思ったのは、電柱や電線である。最近では伝統的建造物群保存地区では、電線を埋設に変更しているところも多いが、京都の様にこれだけ広い地域での対応は難しいかもしれないが、やはり少しずつでも電柱をなくし電線の埋設化を進めてほしい。


清水では、いたる所に京都で一番美しいシルエットと言われている八坂の塔の美しい姿を見ることのできる場所や、アイストップとなる路地があるが、その景観を台無しにしているのが電柱や電柱に取り付けられているトランスや電線である。それらをなくすことができると、京都の街の景観は本当に素晴らしいものとなり、素晴らしい景観スポットも飛躍的に増やすことができる。


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電柱や電線が無くなったら、京都の街は更にどれだけ美しい街になるだろう。




 京都 桜めぐり ― 3                           2009.4.6

RIMG0191 350s.jpg二泊目の宿は清水にした。

そう、サクラの時期は清水寺は夜間特別拝観を実施しているので、建物や桜や緑がライトアップされる。
そのライトアップされた清水寺と夜の産寧坂、二年坂を歩き、足を延ばして高台寺から円山公園まで夜桜を楽しみたいと思っていた。

昼間の桜も良いが、夜のライトアップされた桜はまた美しい。と楽しみに行ったのだが、やはりここ清水寺の桜もまだ二分咲き程度で、ちょっと残念だった。

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それでも、ライトアップされた山門や三重塔、新芽に萌えるモミジや山の木々が薄闇に淡く浮かぶ姿は十分美しかった。子供たちも少し感動したようだったので、疲れてはいたが出てきた甲斐はあったようだ。



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夜の清水寺を後に、清水坂から産寧坂、二年坂と夜の街並みもとても風情があった。ただ、どういうわけか、遅くまで営業はしていたくないのだろうか、8時過ぎだというのに飲食店はほとんど閉まっていて、お茶や食事ができる店はほとんどなかった。

食事のできる店を探して高台寺、ねねの道の方へ急ぐが、やはりこちらでも食事のできる店は見当たらない。まったく無いわけではない。料亭の様な店は灯りがついているのだが、子供を連れて初めて入るといった気持にはちょっとなれない。

旅館や料亭街の路地を歩き、途中で教えてもらった天丼を出しているお店へと向かう。途中和風の店構えの上品なイタリア料理店もあったが、入口に置かれたメニューを見た子供の意見で天丼を出しているお店に。こちらは中庭がある上品な洋風のお店だった。ほとんど食べる機会のない天丼が子供たちの口に合うか少し心配だったが、思いのほか子供たちにも好評だったので本当に良かった。





 京都 桜めぐり ― 2                           2009.4.5

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天龍寺を後に、渡月橋へ向かう前にちりめん細工のお店でしばし買い物。
その後昼食をとり、渡月橋へと向かう前にもう一軒。手描京友禅工房「久利匠」へ。手描き友禅の手描きの作業を見させていただいたり、作品づくりへのお話をうかがいながら、辻が花等いろいろな作品も見せて頂いた。

やっと渡月橋を渡り、嵐山公園へ着いたが枝垂れ桜の他はまだほとんど咲いていない状態にややガッカリ。本日はこれで宿に向かうことに。


    二日目(3/31)は二条城から。ここもまだ早かった。

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  手描京友禅「源氏物語 桜」より
           手描京友禅工房「久利匠」




二条城の後は神泉苑に寄り、町屋のパスタレストランで昼食の後、京都御苑へ。

ここ京都御苑の枝垂れ桜はとても良かった。
枝も地面30cm位まで下がっているような木もあり、とても見ごたえがあった。

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 続いて哲学の道・銀閣寺へ行った。人出は多く混んではいたが、桜はまだ少し早かったのが、残念だった。



 京都 桜めぐり ― 1                           2009.4.2

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一年ぶりの京都。今回は初めての娘(下)も連れた家族での京都の旅。早めの桜の開花宣言に喜んだのもつかの間、その後の冷え込みに桜の花も足踏み状態。結局昨年よりも遅れ気味の開花に、ソメイヨシノの桜はまだまだどこも蕾の状態で、せいぜいで二分三分咲き程度だったのが少し残念だった。

30日、田舎を朝一番に出て、10時頃にはに京都に着き、先ずは嵐山方面へ。

竹林の道を歩いた後は、先ず天龍寺へ。山門をくぐると直ぐの桜は、やはりまだ早いが、白壁に薄っらと桜色の蕾が美しかった。

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嬉しいではないか。天龍寺の建物を回り込むと、そこのしだれ桜はほぼ満開状態。やはり満開の桜は美しい。
ソメイヨシノとはまた違った風に揺れる枝垂れ桜の艶っぽい姿も良い。


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天龍寺の裏手の庭は小高い山に登れるようにもなっていて、上から枝垂れ桜の枝越しに寺の建物や桜、遠く京都の町並みを見渡すことができる。

これも素晴らしい眺めである。




























久々の不調                                  2009.3.16

いやー参りました。
先週の金曜日の夕方から熱が出て、微熱(36.7度)だったので一晩寝ればとすぐに就寝。

翌土曜日、まだ熱が下がっていない(36.8度)ので、
掛かり付けのお医者さんへ。

いつものように血圧を測り、尿を取り、体温を測る。
血圧は問題ないが、体温は37.3度、自宅で測るよりもいつもの様に少し高め。
尿が良くない。
脱水症状でかなり赤っぽくなっていた。

脱水症状対策にこれもいつものように点滴。
尿が近いということから、念のために血液検査をしておこうということで採血。

点滴が終わって戻っても、症状は悪くなるばかり。
夜には39.0度まで上がってしまい。
最悪な状態。

日曜日はおとなしく寝ていたので、月曜までには何とか回復をと考えていたが。
今日診察を受けに行くと、
体温は下がってきた(36.4度)けど、オシッコはまだ赤いから、
点滴しておきましょうとのことで、今日も点滴。

正直まだ体調は良くない。

明後日は上の娘の卒業式(中学)、
何とかそれまでには元気になっていたいところだ。




□ 第5回 東松山夢灯路( ゆめとうろ ) 2009               2009.1.23

第5回東松山夢灯路_350-458.jpg 第5回 東松山 夢灯路 ( ゆめとうろ )

第五回東松山夢灯路日程_350-171.jpg








           主催 東松山夢灯路実行委員会

  ■ 東松山夢灯路 <写真展開催・作品募集> ■

 寒さはまだまだこれからのこの時期に、春のお祭りの準備が着々と進んでいます。
そう、この東松山夢灯路 2009も、東松山夢灯路実行委員会の皆さんは今も準備に頑張っていることと思います。有志の方たちの努力によって開催されるようになったこの春のお祭りも、今年で調度第5回を迎えます。お客さんも年々増えて、すっかり東松山の春の風物詩になってきたようです。


 東松山夢灯路は、桜の咲く頃に東松山にある二つの沼、上沼(男沼)と下沼(女沼)とその二つの沼を結ぶ路地に灯籠を置き、夜桜や日本の灯りを楽しみながら春の宵をそぞろ歩く情緒あるお祭りです。
上沼と下沼にまつわる昔の哀しい物語を偲び、愛し合った二人を時を越えて結び合う二夜は、春の七夕の日のようで、とても素敵なお祭りですね。
恋人同士やご家族で、もちろんお友達とも、日本情緒を楽しみながら絆を深める日にしてはいかがでしょうか。


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 東松山夢灯路 案内図





コクーンタワー                               2009.1.16

コクーンタワー 600-800.jpg


もうどのくらい前になるのだろうか、センセーショナルというか、圧倒的なテレビCMで、売り出したモード学園。それも東京モード学園として、業界系の専門学校としてユニークなコマーシャルで売り出した専門学校が、時を重ねるといつの間にか業界の際大手企業になっていた。

その東京モード学園のビルがこのコクーンタワーだ。

コクーンとの名のごとく、御覧のように繭を想わせるデザインで、超高層のカーテンウォールの外壁は曲面を描いている。この形を可能にしているのが現在の構造解析技術で、繭に見える外装の網の目は視覚的なデザインである。

コンピューターによる構造解析技術の進歩で、三次曲面の解析も自由にできるようになったことで、建築デザインの自由度が増し、まさに未来的な有機的建築デザインが可能になった。

今後ますますこうした曲面を多用した有機的デザインの建築が増えてくるだろう。





2009年 今年もよろしくお願い致します。


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2009年明けましておめでとうございます。

昨年はこの随想録も、何とかそこそこのペースで更新することができました。それも、ここの訪れて頂いている方たちのおかげで、見に来ていただいている人がいるということがとても励みになります。
本当にありがとうございます。


ところで、昨年来アメリカに始まる100年に一度の大恐慌ということで世界中が不景気に見舞われ、日本でも予想以上の影響を受け、大変な状況になっている。

今回の世界経済破綻を考えると、アメリカの存在の大きさとともに、アメリカが考え出した金融システム、にわか株主、投資家優先の企業の在り方には大変疑問を感じている。
株価に翻弄される企業の在り方、投資対象となっている原油や穀物類、アメリカのサムプライム、等々、今回の経済破綻はアメリカによるところの金融システム、投資家たちによるバブル経済がもたらしたものだと思う。

そのアメリカの意向のように、日本の政策や経済、企業の在り方までもが変化し、世界の中ではバブルの崩壊を経験し、地力の有ったはずの日本までもが最悪の状況である。

これを機会に、アメリカ依存の経済体質から脱し、これからの日本独自の経済の在り方を考え直し、世界をリードする日本になれと思う。
日本国内に必要な経済対策(福祉、農業、エネルギー、他)を行い、国内経済の活性化を図り、更に世界をリードする技術開発(エネルギー、自動車、ロボット、バイオ、宇宙、他)を促進し、世界中の人々に利用してもらえるものを創り出していく。日本の国力をあげての政策を願う。

それにしても、わが建築業界は相変わらず、これまで以上に最悪の状況である。
ここしばらく倒産企業第一位の産業であり、そこに姉歯事件での打撃から立ち直る間もないうちに今回の最悪の世界経済破綻、本当に困ったものである。


最悪の状況の中で、今年が少しでも良い年になりますよう。





ビジネスマップ  WAC研修合宿 2008                 2008.12.13

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12月11日12日とWACの研修合宿に参加させて頂いた。
今年の研修旅行は、例年の研修旅行ではなく、ビジネスマップ企業セミナーを都内のホテルを会場としてのビジネスマップセミナーの実施となった。

ビジネスマップは、トニー・ブザン氏のマインドマップを進化させたビジネスメソッドだという。ビジネスのあらゆるシーンでの問題解決のためのツールとして「マインドマップ」をウォーレン・アーバクル氏が独自に開発・発展させたものが「ビジネスマップ」なのだという。


私が参加したチーム「いーフォレスト」で作成したビジネスマップ
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二日間にわたって、ふだんは一緒に仕事をしないメンバーとも同じ問題について語り合った。始めはビジネスマップを描くための発想をするのに戸惑ったが、直に慣れそれぞれが自分なりに描けるようになった。作業はみんなで活発な意見交換を行いながら進める、楽しいものだった。
二日間で、何とか誰もが今の問題を把握し、これからの課題をつかんだようだ。
とてもいい経験となった二日間だった。




 イルミネーション 浦和                          2008.12.08

イルミネーション浦和 -1 360-270-h.jpg今日は一日外出。午後は久しぶりに浦和へ。用事が済んで、外に出ると既に日が暮れていた。


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駅まで戻ると、西口駅前は年末イルミネーション。さすがに浦和レッズの街だ。イルミネーションの色は全体がレッドにサッカーボールをかたどったもの。

正に「サッカーのまち浦和」だ。


私の友人には浦和レッズファンが多い。
日本一のサポーターに愛される浦和レッズ。
地域に密着したサッカークラブの魅力か。








千駄ヶ谷 から さいたま広場  秋色から年末色                2008.11.30

千駄ヶ谷 600-450.jpg

もう一昨日の28日になるが、久しぶりに千駄ヶ谷へ行った。東京体育館横の並木もすっかり秋色に。




イルミネーション 埼広 350-262.jpgイルミネーションツリー 350-466.jpg















夜はさいたま広場の近くへ。
広場はすっかりイルミネーションに飾られ、クリスマス色と、コンサートへの人でいっぱい。
例年に比べ、ややイルミネーションやツリーが地味に見えるのは気のせいだろうか。






寄居町にも、年末への寄居町らしいイベントが有ればと思う。
どこにでもあるような華やかなクリスマスイルミネーションではなく、趣のある日本的な灯り(イルミネーション)で飾られた年末の寄居といったイメージだ。



窓・断熱工事  セーフティーヴィラ                     2008.11.23

みなかみ町の知人のマンションの窓の結露がひどいということで、相談を受けていた。今日、いやすでに昨日になったがその窓の断熱工事に大工さんと出かけてきた。


水上I.C 450-337.jpg大工さんと水上の天気模様を心配しながら出て行ったのだが、山にうっすら雪が残っている様子を見て心配が当たっていたような、麓のまちにも雪が残っていたらと、少し心配になった。

とはいえ、薄っすらと雪化粧を施した紅葉の進んだ山は美しかった。

先の空には厚い雲があり、車のフロントガラスにも少し水滴が見えるようになったので、更に心配になったが、インターを降りるとまったく問題はなかった。





水上I.Cより 600-450.jpg


ヴィラの川に面した掃き出しの窓は、一般のRC用のアルミサッシが入っていて、みなかみの様な冬の寒い所では、窓ガラスやアルミの枠周りが結露でびっしょりになるのは当然のことだ。
今なら、当然のように断熱サッシが使われるところだと思うが、このヴィラはまだそうした断熱サッシが一般になる前に建設された物件なのだろう。

ヴィラのバルコニーの下には川が流れ、一面に美しい山並みを望むことができた。

ヴィラより 600-450.jpg


窓の断熱工事は、既設のアルミサッシを木製断熱サッシに変えることも考えたが、今のサッシのアルミの建具を置いておく所も無いということで、既設のアルミサッシはそのままに、その内側に断熱サッシを新たに取り付けることにした。
内側に取り付ける断熱サッシもできれば木製の物にしたかったが、取り付けるのに必要な見込み幅が足りなかったので、樹脂製のインナーサッシを設置した。


午後には、山はすっかり薄化粧を落としていた。

ヴィラより 裏山 600-450.jpg


6階のサンルームからは、真っ白な谷川岳も。

谷川岳 600-450.jpg





素晴らしい マケインさんの敗北演説                     2008.11.13

今の日本の毎日の様子を思うと、日本の政治家さんたちは本当に日本のことを考えて政治を行っているのだろうか、本当に国民のことを考えてくれているのだろうかと、嘆かわしい毎日である。

アメリカ大統領選の結果の日の、マケイン氏オバマ氏の敗北演説に感銘したことは以前にも書いたがその言葉をどうしても記しておきたかったので、あるサイトで訳してくれているところがあったので、写させて頂いた。
(以下は404 Blog Not Foundの全文和訳より)


マケイン氏 300-450.jpgありがとう。戦友たちよ。この素晴らしいアリゾナの夜に集まってくれて。
戦友たちよ。我々は--我々は長い旅の終わりにいる。アメリカ人は発言した。きちんと発言した。私は先ほどバラク・オバマ上院議員に、我々二人が愛してやまない祖国の大統領への当選のお祝いを述べる栄誉を得た。

長く辛い戦いであった。彼の成功自体、その能力と忍耐に対する敬意の理由として充分なものであるが、私が彼を敬してやまないのは、彼がその成功を、アメリカにも選挙にも絶望しかけていた何百万人ものアメリカ人に希望を与えることで得たからだ。
歴史に残る選挙戦であった。今夜はアフリカ系アメリカ人にとっては特に重要な一夜となった。

私は、アメリカという国が能力を持ち、それを使いこなすものであれば誰にでも機会が与えられるということをずっと信じていた。オバマ議員もそうだ。そして、一部のアメリカ人からその機会を取り上げてきたという過去の不正義が、我が国の対面を傷つけ、その記憶が未だに人々を傷つけているということも知っている。

一世紀前にセオドア・ルーズベルト大統領がブッカー・T・ワシントンをホワイトハウスの夕食に招いたことは、多くの場所で怒りを買った。今日のアメリカは、当時のような偏見とは無縁である。ア
 写真はマケイン氏公式サイトより       フリカ系アメリカ人が大統領に当選したことほど、それにふさわ
                       しい証拠はないのではないか。地球で最も偉大な国の市民権を、
                       充分に謳歌できない理由など、あってはならないのだ。

オバマ議員は彼自身、そして彼の国のために偉業をなしとげた。このことを祝い、彼の祖母がその偉業を目にすることなく他界したことに心からお悔やみを申し上げる。彼を育てた彼女が、主のもとで、この偉業を誇りに思いつつ眠ることを、私の心から確信している。

オバマ議員と私はそれぞれの相違点について争い、そしてオバマ議員が勝利した。相違点の多くはそのままだ。しかし、我が国は未曾有の国難の中にいる。私は全力を尽くして彼とともに今後の困難に立ち向かうことを誓った。

私を支持してくれた全てのアメリカ人たちに、私の後をついてきてくれるようお願いする。彼の当選を祝うにとどまらず、必要な時には妥協し、共に相違を乗り越え、繁栄を取り戻し、この危険に満ちた世界に安全をもたらし、子どもたちや孫たちのためにより強く、そして良き国をもたらすために共に手を携えることをお願いする。

どんな違いがあっても、我々は共にアメリカ人なのだ。それ以上に大事な絆を、私は持たない。

今夜は失望してもいい。しかし明日からは、それを乗り越え共にこの国を動かしていかねばならない。我々は力の限り戦ったのだ。

力が及ばなかったのは、全て私の責任である。君たちの責任ではなく。

君たちの支持と献身に、私は感謝の言葉もない。戦友たちよ。確かに望んだ結果ではないかも知れない。道は険しく見通しは悪かった。しかし君たちの支持と友情は尽きることがなかった。一生かけても償えないほどの恩義を、私は君たちに負っている。

妻のシンディ、子どもたち、母、家族、そして旧友たち。君たちには特に感謝している。いい時も悪い時も、私の側にたってくれた。私はずっと幸運な男だった。君たちの愛と励ましというかけがえのない運にめぐまれていたのだから。

諸君も承知しているとおり、選挙戦というのは本人よりも家族にとってより辛いものである。本選挙戦も例外ではなかった。私は、愛とより安静な未来の確約をもってそれに応えるしかない。

サラ・ペイリン知事にも感謝している。まぎれもなく過去最高の共闘仲間の一人であり、我が党に新風をとりいれ、我々の最も強い点をさらに強化してくれた。彼女の夫のトッド、そして五人の子どもたちの、とぎれることなき献身と、嵐にも似た大統領選挙を戦い抜いてくれたその勇気と寛容にも感謝を。アラスカ、そして共和党における今後の活躍に期待している。

選挙を戦い抜いた戦友たちよ。リック・デイヴィス、ステーヴ・シュミットにマーク・サルター、そして近年においてもっと挑戦的な選挙戦を共に戦ってきたボランティアの最後の一人まで。ありがとう。君たちの信念と友情にくらべたら、選挙の敗北などものの数ではない。

これ以上何をしたら選挙に勝てたのか、私にはわからない。敗因の分析は任そう。失点のない候補者はありえない。私もその例外であることは間違いない。しかし、私は一瞬たりとも後悔の念にかられることはないだろう。

この選挙戦は、私にとって偉大な名誉であり、これからもそうあり続けるだろう。オバマ議員と我が旧友ジョン・バイデンに我が国の今後の四年間をゆだねることを決める前に、私にも存分に耳を傾けてくれたアメリカ人に対する感謝の念が、私の心の全てをしめている。

私は名乗るほどの者ではない。そんな私に半世紀もの間、この国に尽くす名誉を与えてくれた運命に、抗う必要などあるのだろうか。今日、私はこの国の最高意思決定者候補だった。そして今夜、私は一介の下僕へと戻る。それは誰にとっても身に余る天恵であり、それを与えてくれたアリゾナの諸君に感謝する。

今夜は、どんな夜よりもこの国と、この国の市民に対する愛で私の心は満たされている。オバマ議員と私のどちらを支持したにしても、神の恩寵が私のかつての対立候補にあることを願っている。

そしてアメリカの人々よ。この選挙戦でも繰り返し言ってきたことだが、今日の困難にくじけてはならない。アメリカの偉大さを信じ続けてほしい。必然的なことなど、この国には存在しないのだから。

アメリカは、終わらない。我々が降参することはない。我々は歴史に隠遁したりはしない。我々は、歴史を創る者なのだから。

ありがとう。諸君に神のご加護があらんことを。そしてアメリカに神のご加護があらんことを。心よりありがとう。(了)




バラク・オバマ氏 勝利演説 アメリカ合衆国第44代大統領           2008.11.6

アメリカ合衆国大統領選も、バラク・オバマ氏 黒人初の大統領誕生という歴史的な結果となった。

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しばらく前まで日本でも言われたいたような「Chenge」をとなえ、「Yes, We can.」と訴えた。日本の多くの評論家たちが評したように、オバマ氏の演説は魅力的で、多くの黒人や市民たちがボランティアでオバマ氏を支援してくれた結果の勝利と、オバマ氏自身が勝利演説の中でも市民たちを称えている。

4日深夜(日本時間5日午後)、地元シカゴ市でのオバマ氏の勝利演説を聞くと、日本の政治家の演説の内容とどこか違って聞こえる。(国や文化が違うのだからといったことだけだろうか。)


― 大統領選勝利演説の要旨 ―

Mr.President-NYP 200-216.jpg『 米国にあらゆる可能性があることを疑い、建国の父の夢が生き続けていることを信じず、民主主義の力を疑う者がいるとすれば、今晩(の勝利)こそが、その答えとなった。今回こそ違いを実現できると信じ、(投票するために)並んだ人たちの、この国が目にしたことがない規模の列が、その答えを示したのだ。
 答えとは、我々は民主党や共和党、黒人や白人、そしてラテン系、アジア系といった州や個人の寄せ集めではなく、アメリカ合衆国であり、これからもそうだということだ。今、米国に変革の時が訪れたのだ。
 だが何よりも、この勝利はあなた方の物だ。私は決して最有力の候補ではなかった。何百万人ものボランティアのお陰で勢いを得た。人民の人民による人民のための政治が、滅びていないことを証明したのだ。
 我々の前に立ちはだかる試練は極めて大きい。(イラクとアフガニスタンの)二つの戦争、気候変動、そして経済危機。道のりは長く、上るべき坂は厳しい。1年や1期(4年)では、成し遂げられないかもしれない。だが米国が今夜ほど希望に満ちたことはない。約束しよう。我々は、必ずそこにたどり着くと。
 今夜、偉大な勝利を果たしたのは民主党で、私を支持しなかったあなた方の票は得られなかったかもしれない。しかし、私はあなた方の声に耳を傾けていく。私はあなた方の大統領にもなる。
 世界を破壊しようとする者は打ち倒し、平和と安全を求める者は支えよう。米国の真の強さは武力や経済力ではなく、理想を実現する力――民主主義と自由、機会、決して朽ちることのない希望にある。
 今夜、私の胸に去来したのは、アトランタで投票をした106歳の女性のことだ。彼女は、女性であることと(黒い)肌の色を理由に、投票することはできないと言われた。
 私は彼女が1世紀にわたり目にして来たことに思いをはせる。全米が大恐慌の絶望に包まれた時、彼女は国家がニューディール政策により、恐怖を克服するのを目にした。独裁国家が世界を脅かした時、人々が立ち上がり民主主義が守られるのを目にした。
 アトランタ出身の(キング)牧師が「我々は乗り越えねばならない」と人々に訴えた時も、そこにいた。
 そして今年、この選挙で、彼女は1票を投じた。106年を米国で過ごし、彼女は米国がどのように変われるのか知っている。「イエス・ウィ・キャン(そうだ、我々にはできる)」 』  (2008年11月6日01時34分 読売新聞)


更に、マケイン氏の敗北宣言の言葉には驚きとともに、感銘した
「オバマ氏は、彼自身のため、そして祖国のために偉大な業績を成し遂げた。私は彼に喝采(かっさい)を送る」
と述べたり、オバマ氏との意見の相違があったことを認めた上で、
「相違を埋める必要な妥協を見つけるため、彼を支えるようすべての米国民に求める」
といったように、オバマ氏を称え、ともに合衆国のために協力していくと述べている。


オバマ氏が大統領となったことで、アメリカが「Change」していくことは確実に違いない。
ただその変化が、これまでのようにアメリカのためでなく、真に世界のためになっていくことを期待したい。





― バラク・オバマ氏 勝利演説全文 ―logo_mainichi_s.gif

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11月4日、米イリノイ州シカゴで開かれた勝利集会で右手を挙げ支持者の声援にこたえるバラク・オバマ氏=AP




 やあ、シカゴのみなさん。
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米大統領選で勝利し、地元シカゴで勝利演説する民主党のバラク・オバマ上院議員=AP ここにもし、米国では何でも可能だということを疑い、建国者の夢が生き続けていることに疑問を持ち、私たちの民主主義の力に疑念を抱く人がいるなら、今夜がその「答え」だ。

 その「答え」を示したのは(投票所の)学校や教会にできた、3時間、4時間も(投票を)待った人々の列だ。彼らの多くには人生で初めての経験だったが、「今回は違うだろう、今回は私たちの声によって変えられる」と信じて票を投じた。

 「答え」を出したのは若者や高齢者、裕福な人や貧しい人、民主党員や共和党員、黒人、白人、ヒスパニック、アジア系、ネイティブアメリカン、同性愛者とそうでない人、身体障害者やそうでない人たちだ。米国人は、我々が決して個人  米大統領選で勝利し、地元シカの寄せ集めや、単なる赤色の州(共和党)と青色の州(民主党)の集まりではな  ゴで勝利演説する民主党のバラ  いというメッセージを世界に発信した。                    ク・オバマ上院議員=AP

 我々は今も、そしてこれからも、アメリカ合衆国そのものだ。

 その「答え」は、何かを達成できることなど冷笑し、恐れ、疑えとあまりにも長い間、言われ続けてきた人々を、歴史の円弧に手をかけて向きを変え、もう一度、より良い明日のための希望へと導くものだ。

 ここまで来るのに長い時間がかかった。しかし今夜、我々がこの日の選挙で成し遂げたこの瞬間、米国に変革が訪れた。

20081107mog00m030001000p_size5.jpg 今朝早く、マケイン上院議員から、たいへんな丁重な電話をもらった。

 マケイン氏は、長く苦しい選挙戦を戦ってきた。しかし彼は愛する国のため、もっと長く苦しい戦いを続けてきた。米国のため、にわかには想像できないほどの自己犠牲に耐えてきた。彼のような勇敢で私心のない指導者のおかげで、我々はよりよい暮らしを享受している。

 私は彼と、(副大統領候補だった)ペイリン(アラスカ州)知事のこれまでの業績を祝福する。この国の新たな約束を果たすため、私は彼らと共に働くことを楽しみにしている。

 私は、この選挙を心底から共に戦ったパートナーに感謝したい。彼は、スクラントン通りで育ち、デラウエアの自宅へ帰る電車に揺られるような普通の人々のために演説をしてきた。合衆国副大統領に選ばれたジョー・バイデン氏だ。

 そして、16年間私に献身し、友情をはぐくみ、家族の要となり、愛情を惜しみなく与えてくれた彼女なしにはここにいられなかった。次のファーストレディーとなるミシェル・オバマだ。サーシャ、マリア。想像できないほど君たちを愛している。君たちは、手に入れたかわいらしい子犬と一緒に新しいホワイトハウスに行くことになる。

 そして、もはやこの世にいないものの、私を今日あるように育ててくれた祖母が、家族とともに見つめていることを知っている。今夜、彼女たちの姿を見られないのは寂しく、計り知れないほど恩を感じている。マヤとアルマをはじめとする兄弟姉妹たちへ。私に与えてくれた支援をありがとう。彼らには本当に感謝している。

 この選挙戦を縁の下から支えてくれた陰の英雄、マネジャーのデビッド・プロフ氏。彼はこの国の歴史に残る、最高の政治キャンペーンを張ってくれた。そして、最高戦略責任者のデビッド・アクセルロッド氏。あらゆる場面で私とともにいてくれた。史上最高の選挙チームがこの日の勝利をもたらした。私は、彼らがこの日のために身を粉にして働いてきたことに対してずっと感謝する。

20081107mog00m030002000p_size5.jpg しかし何よりも、私はこの勝利が本当は誰のものなのか決して忘れない。それはあなたたち。あなたたち国民だ。

 私は、有力候補ではなかった。資金も支持もあまりないところから始めた。選挙戦は、ワシントンのホールから始まったのではない。デモインの裏庭、コンコードの居間、チャールストンの玄関からだった。労働者のみなさんが決して多くない貯金の中から5ドル、10ドル、20ドルと、資金を工面してくれた。

 運動は若い人たちが加わってうねりとなって行った。「無関心な若者」という迷信を拒否し、家と家族から離れ、睡眠時間を削り、わずかな報酬  米大統領選で勝利し、地元シカゴで勝で働いてくれた。さらに、決して若くはないが、ひどい寒さや焼けるよう  利演説する民主党のバラク・オバマ上に暑い日、勇気を持って見ず知らずの家のドアをノックし続けた人々もい  院議員=ロイター        た。さらに、自発的に組織を作り、
「人民の、人民による、人民のため政治」(リンカーン大統領の言葉)が決して地球上から滅びていないことを、2世紀後に実証した何百万人ものアメリカ人が力を与えてくれた。

 これは、あなたたちの勝利だ。

 あなたたちが選挙に勝つためだけに行動したのではないことを私は知っている。私のためでもないことも。あなたたちは、これからの仕事の大変さを理解しているために行動をしてくれた。今夜は祝うにしても、明日からの課題は、私たちの生涯のうちでとてつもなく大きなものであることを私たちは知っている。それは2つの戦争であり、危機的状況にある地球であり、今世紀で最悪の金融危機である。

 私たちが今夜ここに立つ一方で、イラクの砂漠やアフガニスタンの山地で起床し、私たちのために自らの命を危険にさらす勇敢な米国人がいることを知っている。ローンや医療費、子どもたちを大学に進学させる学費をどうひねり出そうかと、子どもたちが眠りについた後も、横たわったまま起きて考えている父母がいる。

 新しいエネルギーを活用し、新たな雇用を創出し、新しい学校を建設し、恐れに立ち向かわなければならない。同盟関係を修復しなければならない。

20081107mog00m030004000p_size5.jpg 目の前に続く道は長い道のりだろう。私たちが直面する坂は急だろう。1年間、いや1期では、そこまでたどり着けないかもしれない。しかし、アメリカよ、私たちがそこにたどり着くため、今夜ほど大きな希望を持ったことはない。

 私は約束する。私たちは国民としてそこに到達できることを。

 妨げや、フライングもあるかもしれない。また、私の大統領としての決定や政策に賛同できない人も多くいるだろう。また、政府があらゆる問題を解決することはできないことも私たちは知っている。しかし、直面する困難な課題について、私は常に、あなたたちに正直でいる。意見が食い違った時こそ、私はあなたたちの声に耳を傾ける。

 とりわけ、国を立て直す仕事への参加をお願いしたい。そのための唯一の方法は、221年間やってきたように、こわばる手でブロックやレンガを1枚1枚積み上げていくしかない。

 21カ月前、冬の最中に始まったことは、この秋の夜に終わることはない。

 我々は、この勝利だけを求めていたのではない。この勝利は、我々が求める変革を成し遂げるための一つの機会に過ぎない。そしてその変革は、かつての道に戻っては遂げることができない。

 あなたたちがいなければ、また新たな奉仕や犠牲の精神なくしては、変革をもたらすことはできない。だから、新たな愛国心を呼び起こし、我々一人一人が自分のことだけでなく互いを気遣い、懸命に努力する責任精神を呼び起こそう。

 覚えておこう。もしこの金融危機から学ぶことがあるとすれば、「大通り」が苦しんでいる間は、ウォールストリートの繁栄もあり得ないということだ。

 この国では、我々は一つの国家、一つの国民として高揚し、凋落もする。我々の政治を長い間、毒してきた党派主義や、狭量さや、未熟さに退行しようとする誘惑にあらがおう。

 思い出そう。自己信頼と個人の自由、国家の融和という価値に基づいた党である共和党の旗を最初にホワイトハウスに掲げたのは、この州出身の人物だった。これらは、我々すべてが分かち合う価値観だ。民主党が偉大な勝利を収めた今夜、我々もまた謙遜と決意を持って、我々の前進を妨げてきた隔たりを解消するために、その価値観を共有しよう。リンカーン(元大統領)が今よりずっと分裂していた国家に語ったように、我々は敵ではなく、友人同士だ。情熱が緊迫しても、我々の感情の結びつきを破壊させてはならない。

 私を支持してくれなかった米国の人々の票を、私は今夜、得られなかったかもしれない。しかし、私はあなたたちの声も聞く。私には、あなたたちの助けが必要だ。私は、あなたたちのための大統領にもなる。

 そして、海外や、議会や宮殿で今夜の様子を見守る人々、世界の忘れられた街角でラジオの周りに集まって聴いている人々へ。我々の物語は個々のものだが、我々は運命を共有している。米国の新しい指導力の夜明けは、すぐそこだ。

 世界を引き裂こうとする人々へ。我々はあなたたちに勝つ。平和と安全を求める人々へ。我々はあなたたちを支援する。そして、米国のかがり火は、まだ明るく輝いているのだろうかと考えているすべての人々へ。我々の国家の真の強さは武力でも富の力でもなく、永続的な理想の力にあることを今夜、我々は改めて証明した。それは民主主義であり、自由であり、機会であり、確かな希望である。

 これが本当の米国の英知だ。米国は変われる。我々は完全に団結できる。既に我々が成し遂げたことが、我々が明日できること、やらなければならないことへの希望を示している。

20081107mog00m030006000p_size5.jpg 今回の選挙では、何世代にもわたって語り継がれるだろう初めての出来事や物語がたくさんあった。しかし今夜、私の頭に浮かんでいるのは、アトランタで投票したある女性のことだ。彼女は、ある一つのことを除いて、自分たちの声を届けようと投票所で並んだほかの数百万の人々と変わらない。彼女−−アン・ニクソン・クーパーさんは106歳だ。

 彼女は奴隷制度時代のわずか一世代後に生まれた。道に車はなく、空に飛行機はない時代。彼女のような人が二つの理由で投票することができなかった時代。その理由は、女性であるということと、肌の色だった。
                                   勝利演説で触れられた106歳のア そして今夜私は、米国の1世紀の間に彼女が見てきたすべてのことに思い  ン・ニクソン・クーパーさん=AP
をはせる。その心痛と希望、戦いと進展、「我々にはできない」と言われ
ていた時代、そして米国の信念を断行した人々のこと。そう、「我々にはできる」ということを。

 女性が声を上げられず、希望が打ち砕かれた時代を彼女は生き抜き、女性が立ち上がって声を上げ、投票によって自分たちの声を届けようとする姿を見た。そう、我々にはできる。

 彼女は(1930年代に米国を襲った)砂嵐や、大恐慌(1929〜)で国中が絶望した時にも、ニューディール政策で新たな雇用や新たな共通の目標を作り出し、国が恐怖に打ち勝つ姿を見てきた。そう、我々にはできる。

 爆弾が我々の湾に落ち、専制政治が世界を脅かしたが、ある世代が立ち上がり、民主主義が守られるのを彼女は目撃した。そう、我々にはできる。

 (黒人解放の契機となったアラバマ州)モントゴメリのバス(ボイコット運動)も、(警察がデモ隊を消火ホースによる散水で抑圧しようとした同州)バーミングハムのホースも、(参政権を求める黒人が州警察などに暴行を受けた同州)セルマの橋も、彼女は知っている。アトランタから来た(キング)牧師の「我々は勝利する」という言葉も彼女は聞いた。そう、我々にはできる。

20081107mog00m030005000p_size5.jpg 人類が月に到達し、ベルリンの壁が崩壊し、世界は我々の科学と想像力によって結ばれた。そして今年、この選挙で、彼女は(電子投票機の)画面に指が届き、1票を投じた。なぜなら106年後の米国で、一番良い時と一番悪い時を通じ、米国は変われると知っているからだ。そう、我々にはできる。

 アメリカよ、私たちはここまで来た。多くのものを見てきた。しかし、やるべきことはまだたくさんある。だから今夜、自分たちに問いかけよう。我々の子どもたちが来世紀を見、私の娘たちがアン・ニクソン・クーパーさんのように長生き出来たら、彼女らはどんな変革を見るだろうか。  米大統領選で勝利し、地元シカゴで勝我々は、どんな進歩を遂げているだろうか。               利演説する民主党のバラク・オバマ上
                                   院議員=ロイター
 今は、その問いに答える機会だ。これは私たちの瞬間だ。

 人々を仕事場へと戻し、子どもたちのための機会の扉を開ける時だ。繁栄を取り戻し、平和の大義を促進し、アメリカンドリームを再生し、我々は多からなる一つであり、息をするように希望を持つのだという基本的な真実を再確認する時だ。そして、我々にはできっこないと皮肉を言い、疑う人に出会ったら、人々の精神を集めた不朽の教義で答えよう。「我々にはできる」と。

 ありがとう。あなたたちに神の加護がありますように。そして、アメリカ合衆国に神の加護がありますように。





十月桜                                   2008.11.3

十月桜 600-450.jpg

我が家の畑の片隅に薄いピンクのきれいな花が咲いていることは遠目には気づいていたが、なかなか近くに見に行かなかったので、昨日はカメラ片手に観てきた。春の満開の桜のようなわけにはいかないが、細い枝に可憐なピンクの小ぶりの花を付けていた。まだいくつかの蕾もあったが、既に盛は過ぎてしまっていたのが、残念だった。名を十月桜といって、10月と春の3月に咲く、二度咲きの桜だ。3分の1がこの時期に咲き、3分の2が春に咲くので、やはり春の方が賑やかなようである。




ストッキング ドラゴン < 制作 NPO いずみ >             2008.10.31

ドラゴン(NPOいずみ)400-603.jpg数日前に写真を送って頂きました。

NPOいずみ の利用者の方たちが力を合わせて制作した作品です。
10名以上の仲間で、3ヶ月間をかけて完成させたそうです。高さ150cm、幅70cm、長さ170cmといった大きな作品です。
胴体は、針金の周りにストッキングをまいて作り、その上にストッキングを切って色をつけた鱗を貼ったそうです。

大きなとても立派なドラゴンですね。これを見ると、次の作品がまた楽しみになってきますね。

ドラゴン制作風景300-198.jpg

先生から、みんなで一生懸命頑張って作ったということで、みんなのとても良い経験になったとお礼の言葉を頂いた。
こんな形でWACのストッキング(テスト編み品)を利用して頂けるとは思っていなかったので、とてもうれしく思う。

この話のいきさつは、SADECO:(社)埼玉デザイン協議会で今年1月に、所沢福祉協議会研修会でのデザイン支援をした時に、私の関わっているWAC:ワックデータサービス株式会社から大量に出るストッキングのテスト編み品のリサイクル利用の希望を伺ったところ、手を挙げて頂いた施設で、WACから大量のストッキングを送ってもらい、利用して頂いたのがこの共同制作のドラゴンになったということだ。何か商品開発に使っていただければと考えていたが、こういった使い方も素晴らしいと思う。本来なら廃棄してしまうものなので、どんな形でも生かして頂くことは有難い。



 ファストパス ディズニーリゾート 25周年                2008.10.26

シンデレラ城 300-482-tr.jpg

昨日、下の娘と東京ディズニーランドに行ってきた。ちょうど今年は25周年ということだで、シンデレラ城も25周年の装いのようだ。


下の娘はディズニーのハロウィーンが好きで、どうしてもハロウィーンの期間中(10/1−31)に行きたいということで、都合で最後の土曜日の昨日に行くことになった。



ハロウイン 300-202.jpg
















ハロウィーン期間中の最後の土曜日のせいもあったのだろうが、とにかく昨日は非常に混んでいた。いつも混んではいるのだが。
人気アトラクションの長い待ち時間緩和対策として考えられたファストパスも、こう混雑してしまうとその効果は無いに等しい感じだ。いや、効果はあるのだろうが、効果が感じられないのだろう。人気のアトラクションに至っては、午後にはファストパスがとれなくなってしまう。ファストパスで予約した場合に、そのアトラクションが見終わらなければ次のアトラクションのファストパスは取れないので、昨日のように混んでいる日には一日に三つか四つのアトラクションのファストパスしか取れないという状態だ。昨日の場合は、入場して直行し、一つ目のビックサンダーマウンテンのファストパスを9時15分頃に取って10時20分予約、二つ目のスプラッシュマウンテンのファストパスを10時半ごろに取った予約時間が12時35分、その後直ぐにスペースマウンテンのファストパスを取りにいって、取れた予約時間がもう21時25分。

エレ・パ-1 450-222.jpgファストパスで予約した時間までの間を、その他のアトラクションに並んで待つ。それも朝早いうちはまだ良かったので、30分も待たずにいくつか乗ることができた。一つ目のファストパスを取った後、急いで戻り“カリブの海賊”、その後ジャングルクルーズは幸運にもまだほとんど並ばずに乗ることができた。そうするうちにファストパス一つ目のビックサンダーマウンテン。この時ファストパス使っても乗るまでには30分近くかかっているだろう。

エレ・パ-2(モンスターインク) 400-300.jpg直ぐに次のファストパスを取りにスプラッシュマウンテンへ。その時点で10時半、予約は12時35分、ここからの2時間をつぶすのにはちょっと大変だ。
ところで、ディズニーのハロウィーンのメインアトラクションは、そうホーンテッドマンションだが、そこの話がまだ出てきていないことにお気付きだろうか。一番最初にホーンテッドマンションに行ってファステストパスを取るか、並ばなかったので、ビックサンダーマウンテンを予約してから行ったら、既に2時間近い待ち時間だったのだ。ファストパスでも2時間以上後になってしまうので、娘に優先順位を確認したところ、スプラッシュマウンテン、スペースマウンテンを先にしようということになった。
                              話を戻すと、時間があるのでスプラッシュマウン
エレ・パ-3(ドラゴン) 400-330.jpgテンの周りでゆっくりソフトクリームを食べたあと、ぶらぶらしながら待ち時間が少ないものをと考えたら、カヌー探検が少ないだろうと思いついたので行ってみると、予想通り20分待ちで乗ることができた。
カヌーを後に移動していると、ハロウィーンパレードが始まったので、何とか見えるあたりでしばし見ることに。ちょうどミッキーがすぐ近くだったので、「良い場所だったね」と娘もとても喜んでくれた。
ホーンテッドマンションも、夜になれば待ち時間が少しは短くなるのではと思ったのだが、夕方になっても逆に長くなってしまい、2時間以上。
そして、今回はとうとう私たちはハロウィーンのメインアトラクションのホーンテッドマンションを見ることができなかったわけだ。もちろんファストパスは夕方には締め切りになっていた。


最後にスペースマウンテンに乗って、買いそびれていたお土産を買って、小走りに帰路に就くが最終電車には既に間に合わなかった。

エレ・パ-4(舞踏会) 450-274.jpg

















ブーゲンビリア ― 秋 ―                          2008.10.23

ブーゲンビリア(赤)秋 600-450.jpg

ブーゲンビリア(白)秋 600-450.jpg

花びらに囲まれ、三つの小さなオシベのように見える白く可愛らしいのが実は花で、花びらのように見えるのはがくだ。つぼみは、今はあまり見かけなくなってしまったが、マッチの先端の様で、まさにオシベの様に見える。つまり、花びらのような三枚のがくの中央に、三つづつ咲く白く可愛らしいのが、ブーゲンビリアの花である。花は新芽が分岐した先に咲き、がくが成長するにつれて色がはっきりとしてくる。その鮮やかな色のがくが満開の花のように見えるところがブーゲンビリアの魅力で、グァムやバリのホテルや公園の巨木のブーゲンビリアはそれは見事だ。

ブーゲンビリア 秋 花と蕾 600-552.jpg





ブーゲンビリア ― 秋 ―                          2008.10.22

今年最後のブーゲンビリアの開花となった。

ブーゲンビリア 秋 740-555.jpg





企画プロモーション完成  DORATO!             2008.10.20

一部 “ 北斜面の家 ” ロケーション。 DORATO!の企画プロモーション完成。先ずはご覧あれ。

gal_13.jpg





ご覧頂いただろうか。当然車のプロモーションなので、車が中心である。よく知っている者でないと、ほとんど住宅については分からないだろう。どちらにしても脇役であるので、少しでも主役の車が魅力的に見えていれば良い。




 金木犀 ( キンモクセイ )                       2008.10.12

金木犀 600-450-2.jpg

この時期いたる所でキンモクセイの花が咲き誇り、キンモクセイの良い香りが一面に漂っていっる。オレンジ色の小さい花が細い枝いっぱいにビッシリ咲いているのに、こんなに目立たない花も珍しいだろう。私にはどうも「きれいな花が咲いた」といったような、いわゆる花としてのイメージに結びつかない。離れて木を見ると、木いっぱいの葉の間に見える淡いオレンジ色の花は、花としての印象は香りに比べてあまりにも薄いように思うのは私だけだろうか。


金木犀 600-450.jpg

金木犀は、中国原産の常緑小高木だが、今ではすっかり日本の秋の風物詩になっている。しかし、花と香りの無いその普段のたたずまいは目立たず、突然10月になると香り立ち、気が付くと金木犀の花が咲いているといった感じだ。新しい細い枝に突然花がビッシリと咲く。これだけの花が咲くのにその前に気づいたことがない。観察力が無いのだろうが、不思議な気もする。




― ヤマボウシ ―  秋                           2008.10.10

ヤマボウシの実_081009_740-555.jpg

今年は、アトリエの前の小さい方の木のヤマボウシにたくさんの実がなった。一応ヤマボウシの実は、食べれば食べられるのだが、まったく美味しくない。
ところで、今年のこのヤマボウシの実の付き方はちょっと異常な気がする。花がたくさん咲いた時はそこまで気にならなかったが、この実の付き方を見ると、この枝というか、この幹の部分は来年枯れてしまうかも知れない。

ヤマボウシの花 080605 740-555.jpg


花を咲かせる植物は、枯れそうになるとたくさんの花を咲かせる。それは、自分が枯れてしまうかも知れないので、子孫を残そうとしてたくさんの花を咲かせ実をつけるということのようだ。

以前、庭植えの日本シャクナゲが、どうも威勢が良くなかった。植えてある場所が良くないのではということで、別の場所に植え替えた。植え替えた年の翌年には少し元気になったようにも見えたので、少し安心したのだが、やはり本当に元気になったというところまではまだ何年かかるのかと思っていたところ。三年目あたりだったと思うが、かつてないほどのたくさんの花が咲き誇った。見事なシャクナゲの花にやっと元気になったのかと喜んでいると、思いも寄らす翌年枯れてしまったのである。

今年のこのヤマボウシの実の付け方は、ちょっと不安である。葉は落ちてしまい実だけが付いているが、他の実の付いていない枝には、まだ葉が付いている。この幹だけが、たくさんの実をつけてはいるが、どこか弱っているように見えるので、心配である。取り越し苦労であってほしい。




伝統文化の夕べ ― 伝統芸術復興機構 ―                   2008.9,28

昨日、盛況のうちに「伝統文化の夕べ」を開催することができた。大きな会場なのでどれだけの多くの人に来ていただけるか心配だったが、会長自らの行動力とご支援頂いたたくさんの方々のご協力により、お陰様でまずまずの盛況な会となった。

伝統文化の夕べ  ― 伝統芸術復興機構 ―
「 能と日本舞踊のコラボレーション 」 ― 西行を語る 舞う 踊る ―

講師 金春安明   寿美子
   西川扇九郎  佐起子 
司会 笹山登生   ヒサ子

IMG_8313_740-180_講演-1.jpg

一部は、能の金春流80世宗家 金春 安明(こんぱる やすあき)先生御夫妻と日本舞踊の西川流白扇会主宰 西川 扇九郎(にしかわ せんくろう)先生御夫妻に御登壇頂き、能「江口」が描く西行の世界と、日本舞踊で描かれる西行の世界「時雨西行」の表現の違いをそれぞれ語っていただいた。

IMG_8325-tr_講演-2.jpg




舞囃子 「 江口 」    シテ     金春安明  金春一門
              囃子方  笛  小野寺竜一
                  小鼓  幸清次郎
                  大鼓  亀井忠雄





RIMG0058-h-t_扇九郎先生.jpg日本舞踊の身体性   西川扇九郎

能と日本舞踊の間には、扇九郎先生による日本舞踊の身体性についての解説があった。現代の日本舞踊に中で忘れられてゆく、日本舞踊本来の身体性、体の中心のあり方等について、ご自身のポーズを交えて分かり易く解説頂いた。














 
長唄 「 時雨西行 」   立方  西行  西川一馬
                   江口  西川雪乃 

RIMG0078-tr_「時雨西行」-1.jpg

RIMG0088-tr_「時雨西行」-2.jpg

RIMG0107-t_「時雨西行」-3.jpg

      




第9回 鴻有志工芸展(おおとりゆうしこうげいてん) 2008        2008.9.25

私のサイトでも紹介している高田さん(木工房 やまめ屋)の参加する展覧会です。
ぜひ会場にいらして、素晴らしい作品の数々をお楽しみください。

kougeiten 2008.jpg


annaizu 2008.jpg

第9回 鴻有志工芸展 2008
( おおとりゆうしこうげいてん )
10月23日(木)〜26日(日) AM10:00〜PM5:00(最終日PM4:00まで)
西洋料理 MayKiss メイキッス 2F ギャラリー
鴻巣市本町 4−9−27  TEL.048−542−4953





ロケハン:カービュー(carview.co.jp)企画プロモーション制作にむけて    2008.9.13

昨日になるが、株式会社カービュー・メディア事業本部のM氏が、ある車のプロモーション制作にあたり、私の設計した住宅(北斜面の家を撮影に使わせてほしいということでロケハンに訪れた。しばらく前に掲載された雑誌 Garage Life 特別編集誌「ガレージのある家 Vol.13」を見て、この家でと思ったということで、連絡をもらった。オーナーにも快くご承諾いただき、来週撮影ということとなり、その事前視察というわけだ。

ガレージのある家_740-409.jpg

姉妹サイトのDORATO!の企画プロモーションということのようだ。どんな車のどのようなプロモーションとなるのか、それはまだ秘密である。監督やカメラマンもそうそうたるメンバーのようで、どんな映像になるのかとても楽しみである。




伝統芸術復興機構  設立                          2008.8.10

― 伝統芸術復興機構 ―

この度、伝統芸術復興機構が設立される。失われゆく日本の伝統芸術を守り、更に復興してゆくことを目的としている。代表の探究する日本舞踊や、能などの伝統芸術の形態の継承にとどまらず、それら伝統芸術の持つ普遍的身体性や精神性をも重視し、それらの普及と振興に努めるものである。
そして、微力ながら私もこの活動に協力する者の一人として、多くの方々にご理解とご協力をお願いしたい。

そうした活動の一つとして、下記の催し「伝統文化の夕べ」を開催するにあたり、多くの方々に御来場いただき、伝統芸術復興機構の趣旨をご理解いただく機会として頂ければ幸いである。

伝統文化の夕べ_740-770.jpg

伝統文化の夕べ(演目) 740-1064.jpg

 伝統文化の夕べ
「 能と日本舞踊のコラボレーション 」 ― 西行を語る 舞う 踊る ―

講師 金春安明  寿美子
   西川扇九郎  佐起子 
司会 笹山登生   ヒサ子

舞囃子 「 江口 」    シテ     金春安明  金春一門
              囃子方  笛  小野寺竜一
                  小鼓  幸清次郎
                  大鼓  亀井忠雄
 
長唄 「 時雨西行 」   立方  西行  西川一馬
                   江口  西川雪乃 
      




WAC CPS-コントローラ xPS-コントローラ  パネル


これらは、前のパネルとおなじシリーズとなるパネルで、WACの新アクチュエータの紹介パネルだ。

CPS-コントローラ パネル < Download file >

xPS-コントローラ パネル < Download file >


WAC xPSコントローラー パネル                    2008.8.6

今回は私の最近の仕事の中から、一つ紹介します。

WAC boot_Ver02-600-450.jpg

これは<xPSコントローラー>のインターフェイス起動画面です。
私がプロデュースしているモニター操作画面<xPSコントローラー>のもので、中央のロゴデザインは(有)フィエスタのデザイナー佐々木さんと、操作画面全体のデザイン制作を(株)フォース・スペースといったコラボレーションによって生まれました。
WACの新しい三次元的なロゴが、空間の広がりの中でしっかりとした存在感を示しています。


WAC xPSコントローラー パネル < Download file >

先月末(2008年7月27日〜31日)に中国の上海で開かれた編み機の国際見本市(ITMA ASIA + CITME 2008)に、私がお世話になっているWAC(ワックデータサービス株式会社)も新製品を出品した。上のパネルはその新製品の一つ、xPSコントローラーのインターフェイスデザインを紹介したものです。
このパネルは、フォース・スペースのインターフェイス画面を使って、フィエスタでデザインしました。





 マンタ <スキューバダイビング>               2008.8.2

沖縄(マンタ撮影) 600-476-H .jpgこの写真は、かなり前になるが沖縄慶良間でマンタを求めて潜った時に、運良く遭遇できた時の写真だ。撮ったのはその時のガイドさんで、マンタの向こうでカメラを構えているのが私である。こんな良いタイミングで撮ってもらい、本当に良い記念となった写真だ。もちろん私が撮ったその時のマンタの写真も運良く上手く撮れた。




 暑中お見舞い申し上げます。

 夏は暑いのが当たり前といっても、ここ数年来記録的な暑さが毎年の話題となり、地球温暖化、異常気象と地球が危機的な状態になっている。このまま温暖化が進み、人間たちがその問題を実感し、やっと本気になって対策を考えようと気が付く時にはかなりの手遅れ状態になっているだろう。解っていてもすぐきちんとした対策の取れない人間とは、まったく困ったものだ。



  窓辺の花  ノウゼンカズラ                       2008.7.18

ノウゼン(窓)-450-661.jpg

 キッチンの窓からは、ヤマボウシの緑とオレンジ色のノウゼンカズラの花が綺麗に見える。春のヤマボウシの芽吹きから若葉の新緑、緑は次第に濃くなり、7月にはノウゼンカズラのオレンジ色の花が窓辺いっぱいに咲き誇る。毎日のキッチンでの作業時は、その窓からの眺め、季節の変化を楽しむことができる。

 キッチンの窓の外には、夏の日差し除けも兼ね高木を植えると良い。窓越しに日差しを受ける緑がとても美しく見える。

ノウゼンカズラとヤマボウシ.jpg




























玉淀アトリエ ― ヤマボウシ ―                       2008.6.8

RIMG0051-h-r.jpg

玉淀アトリエのヤマボウシが満開となり、ここ数日雨に打たれて枝も折れんばかりにたわんでいた。


RIMG0056-t.jpg





 散ったブーゲンビリアの花?           2008.6.6

散ったブーゲンビリア 500-375.jpg

 床に広がった散ったブーゲンビリアの花?と枯葉。昨年のブーゲンビリアの後に咲いたものが散ったものだ。そして、今は苗の方にはほとんど花はついていない。実際には、床に広がるピンクに見えるのは花ではなく、額であるのだが。




JAZZ LIVE  世界逸産 LIVE at 長慶寺                   2008.6,1

世界逸産 JAZZ LIVE 長慶寺のジャズライブ 2 2009 の情報はこちらへ

 久しぶりにジャズコンサート(世界逸産 LIVE at 長慶寺)に行ってきた。坊さんの友人が主催するお寺でのコンサートで、久しぶりに同窓の連中に会うことができた。コンサートは盛況で、100人以上の人たちで会場は満席、3時間にも及ぶ演奏も生演奏の魅力を十分堪能することができた。

JAZZ(世界遺産) 080601.jpg 嵐氏(トランペット).jpg
 五十嵐一生(Tp) 吉澤はじめ(Pf) 荒巻茂生(B) 本田珠也(Ds)           五十嵐一生氏


 何でまたこんな片田舎、東松山市の田んぼの中(神戸・ゴウド)の寺(長慶寺)に彼らがやってきたのかというと、ドラムの本田氏のお父さん(ジャズピアニスト:本田竹廣さん)の引導をとったのが、主催者の和尚ということで、その後に話がまとまったということだった。ジャズ界のことはよく知らない私にとって、申し訳ないことに彼らのこともよく知らなかった。調べてみると、本当にそれぞれが立派に活動しているジャズミュージシャンで、こんな田舎で聞く機会を得るということ自体が大変有難いことだったようだ。
 友人の和尚をはじめ、関係者各位には心より感謝する次第である。



 長楽館 人気スイーツ               2008.5.4.

RIMG0068 イチゴスウィーツ.jpg











 イチゴのフィアンティーヌ。 京都円山公園より高台寺方面へ向かうところの右側にある、元は迎賓館として建設された建物を結婚式場やホテルにしている長楽館の人気のスイーツだ。





 先斗町  かまぼこ屋              2008.4.29.

RIMG0030 先斗町かまぼこ屋.jpg










 先斗町の路地を抜けると、突き当りに小さなかまぼこ屋さんがある。ご主人が慣れた手つきでせっせと蒲鉾を作っていた。私は揚げたての熱々のゴボウ巻きをいただいた。
「熱いですから気を付けてくださ
 いね。」とご主人。
 揚げたての蒲鉾は旨かった。





 京の朝食 −つけもの茶漬け−          2008.4.26.

RIMG0048 つけもの茶漬け.jpg
 その日(3月26日)の朝食は京都でとることにした。せっかくなので、何か京都らしいものを食べたいと思っていると、立派な漬物屋さんがあり、お食事処があったので、そこで漬物茶漬けをいただいた。始め一口二口はそのまま白いご飯でいただき、その後お茶をかけていただく。温かいご飯に漬物がうまい。ここのお茶はほうじ茶だったのだが、京都でお茶漬けというとそのお茶はほうじ茶が定番なのだろうか。
 白味噌仕立てのみそ汁もちょっと変わっていた。酒粕入りなのだろうか、とてもクリーミーだった。










寄居町の桜                               2008.4.14

寄居町の桜も一部を除いて、ほぼ散ってしまっている。昨日もあいにくの天候で、せっかくの祭り(寄居北條まつり)も冷たい小雨の中での開催となったようだ。
寄居町には、北條氏縁の史跡鉢形城跡があり、今はその一帯が鉢形城公園になっている。

RIMG0214 資料館桜.jpg
鉢形城歴史館前の駐車場にて(080412)

RIMG0221 鉢形枝垂桜.jpg




私にとっての桜はじめ                          2008.4.11

今年も桜の季節は過ぎ去ろうとしている。関東では、せっかくの桜吹雪もあいにくの雨で楽しめないまま終わってしまった所も多いと思う。私の住む寄居町では、桜の咲き具合にも幅がありすでに峠を過ぎている桜もあれば、一部まだこれから満開というものもあるようだ。どちらにしても、一番良い時にあいにくの天気だったのでちょっと残念な気がした。

今年は仕事で関西の方に行く機会があり、私にとっての桜の季節は、3月26日の少し早い京都の桜から始まった。

RIMG0052 桜(円山公園).jpg
円山公園の桜
全体としてはまだ早かったが、一部ではほぼ満開の木もあった。

RIMG0073 高台寺枝垂れ桜.jpg
高台寺の枝垂桜
円山公園から「ねねの道」を歩き、秀吉の正妻北政所「ねね」縁の高台寺により、有名な枝垂桜などを拝観した。花はまだこれからというところだったが、その分花(蕾)の色が濃い目でまた違った趣だ。

RIMG0089 産寧坂 枝垂れ.jpg
産寧坂の枝垂桜
清水寺へと続く坂道は、京都の中でも私の好きな道の一つである。すだれを背景にした枝垂桜は何とも趣がある。どこもそうではあるが、良い季節には人出が多いのがやはり残念である。それも仕方がないことではあるが。


  中学受験生   2008. 2. 1

.jpg
今は田舎でも私立中学を受験する小学生が幾人かだがいる。
どの辺からが田舎なのかということについては難しいところであるが、
とにかく、毎年中学受験をする小学生が都内だけでなく埼玉県でも増えているということである。
その辺については色々と思う方もいると思うが、
私もそんな時代背景について思うところはたくさんあるが、ここでは長くなるので述べないでおく。

ここにお見せする表は、某女子中学校の2007年度、そう昨年の受験生(合格者)のアンケート調査をまとめたものである。
小学6年生の1日あたりの勉強時間だ。
それも、塾の時間の他である。
驚きの一語につきはしないだろうか。
時代とはいえ、これが小学6年生の女の子の1日を占める勉強時間かと思うと本当にかわいそうな気がする。

この時代、どこかがおかしい様に思えるが、私もどうにもできない父親の一人である。

























2008年1月8日 今年もよろしくお願い致します。

2008 年賀.jpg

 昨年中は、やはりこのページの更新もいまひとつといったところでした。
時々でもおいでいただいてる方々には、大変申し訳ありませんでした。
「見ているよ。」という声に大変励まされながらも、
なかなかできないのが現実といったところですが、
今年こそはもう少し、気張らずに、
内容は気にせず(見ていただく人には申し訳ないのですが)
短い期間での更新に努力したいと考えております。
では、今年もよろしくお願い致します。

                     権田 功


ブーゲンビリア 玉淀アトリエ  20071124

ブーゲンビリア071124-1.jpgブーゲンビリア071124-2.jpg















  アトリエのブーゲンビリアがちょうど見頃となってい
 る。暖かいアトリエでは、少しずつなら一年中咲いてい
 るが、11月の今頃と5月頃だろうか、年に2・3回満
 開になる。まだ、苗自体が小さいので今一つだが、これ
 から年を追うごとに楽しみである。とにかく、枯らさな
 いようにしたい。






ノウゼンカズラ  2007.7.13

ノウゼンカズラ-730-547.jpg

ノウゼンカズラ
 この時季、ノウゼンカズラは花盛りだ。寄居町でもいたるところの家の庭に、垣根越しに、そして、その下の地面も花で被われている。


2007年 明けましておめでとうございます。

書院窓(雪)rito-i.jpg新年明けましておめでとうございます。
昨年中もなかなか更新できづ、せっかくこのページに訪れていただいた方たちには、本当に申し訳なく思っております。

WEBサイトというのは一部のものを除いて、なかなか更新する事ができないままになってしまうというのが一般的です。
理由はそれぞれ色々有るとは思いますが、とにかくまめに更新するということが大変な事なので、どこのサイトもできないままになってしまうということだと思います。

私のこのサイトも例外ではなく、なかなか更新はできないと思っていましたので、この<随想録>ページぐらいはまめに更新して行こうと思って作った訳なのですが、(ブログと同様のシステムにして、書き込み易いページにして有るのですが)それでもやはりそうは行かないのが現実のようです。

ここ数年来急激に広まってきた「ブログ」サイトもあり、そうしたサイトには毎日更新されるサイトもありますが。
それはもともと日記を毎日書くことのできるような人でないとそうはいかないと思います。
私自身は、子供の頃から日記を毎日つけるということは苦手で、よく数日分をまとめて、幾日か前の記憶を基に書いていたものです。
こうしたサイトやこのページの様なものをを作る事自体は嫌いではありませんが、そもそも文章を書くということが苦手な私としては、けっこう時間のかかる大変な作業になってしまいます。

どちらにしても、ここで私がまめに更新できない言い訳をしていても仕方のないことです。とにかく、今年は少しでも多く更新できるようにしたいと考えているわけです。

そういった訳で、まめに更新できるといったお約束はできませんが、今年は少しでも多く更新していくつもりでおりますので、お時間の有るときにでも、ふと思い出した時にでも、いらして頂ければ有難いです。

それでは、今年もよろしくお願い致します。

                         2007年1月6日
                              権田 功



<にごり酒> 〜瓶内発酵・微炭酸〜 2006.11.10

にごり酒.jpg朝晩の冷え込みがだんだん厳しくなってくる頃、人肌の日本酒が益々美味くなってくる。更に、庭の雪化粧を肴に、キリッと冷えた<にごり酒>を口に含み、飲み込む至福の時を味わえる日が楽しみだ。

若い頃は、冬は熱燗の日本酒を好んで飲んでいた。ここ十年来は冬でも冷酒を飲むことが多くなった。毎晩晩酌をやらない私だが、冬にはこの<にごり酒>を味わうことがここ数年来の冬の楽しみの一つになっている。

特に、<にごり酒>の口に含んだ瞬間のほんのりとした甘さが、ピリッとしたさわやかな辛さからスッキリとしたのど越しに変わる味わいは格別だ。

微炭酸UP.jpg


<にごり酒>には、すりつぶしたもろみが入れてあるので白酒状態なのである。もろみは瓶の中でも発酵を続けるわけで、本来もろみの糖分が発酵してアルコールに変わるので、酒になっていくのである。それをその通りの「瓶内発酵」といい。その、もろみの糖分が発酵した時に二酸化炭素が発生して、微炭酸となり、その糖分の甘さと微炭酸の刺激が<にごり酒>独特の味わいをつくっているのだ。そして、その<にごり酒>の味を決めるのにもちろん一番大切なのは、ベースとなる日本酒なのは言うまでもない。

季節限定 「寒梅 槽前 にごり酒」 寒梅酒造(久喜市)




メジロの巣立ち  2006. 8.24


23日は雛の捕獲作戦から始まった。

玉淀アトリエのカーポートにあるヤマボウシノの木にメジロが営巣した。
それも大きい方の木ではなく、私が車を停めている横の小さい方の木の直ぐ手が届きそうな所に。

メジロは5月〜8月に1〜3回の繁殖を行うという。
広葉樹林内を好んで営巣するという事だが、アトリエの小さなヤマボウシのどこが気に入ったのだろう。
約11日で孵化し、11〜12日で巣立つという。


この日も、いつもの様に車を停め、ドアを開ける前に窓越しに巣を見上げる。
これも昨日と同じ様にやっと目の開いた雛の一羽が、こちらを向いて巣から半分身体をのり出している。(巣からこっちを向いている奴だ)

静かにドアを開け、静かに車から降りてドアを閉めた。

メジロ-1.jpgそれでもいけなかったのか、エーッ!反対側から一羽の雛が飛び出した。
飛び出した雛はもう一本の大きなヤマボウシの方へと何とか飛んで行ってしまった。
毎日同じ様にしてきたことなのに、今日に限って何で驚くの。

私が巣の下にいるので、当然親鳥は巣の近くにはいない。
巣から離れて様子を伺っていたが、戻った親鳥もやはり飛び出した雛がどの辺に行ったかには気がつかないようだ。

しばらくすれば親鳥もきっと気が付くだろうとは思うのだが、雛が巣まで無事戻れるかどうかの保証は無い。
飛び立たったのではなく、飛び出させてしまった原因を作った私としてはとても責任を感じ、心配でそのままにしておくことができなかった。

何とか、飛び出してしまった雛を巣までとは行かなくも巣の近くまでは戻そうと、先ずは捕獲作戦を開始。

飛んでいった木の周りをしばらく探すと、いたいた。レンギョウの細い枝の地面から20cmぐらいの所にチョコンととまっている。逃がさないようにどう捕まえるか考え、後ろに回りそっと捕まえた。じっと動かないでいたので、思いの他簡単に捕まえることができた。

さあこれからが問題だ、捕まえた雛をどう巣に戻すかだ。
捕まえた雛を直接巣に戻せればそれが一番いいのだが、そこまで近づくと今度は別の雛がまた飛び出しかねない。
そっと巣の近くの枝にとまらせようとするが、雛は一度は枝をつかむが手を離すとまた飛んでいってしまう。
その度にまた雛の捜索、直ぐに見つかるときは良いが草の中や植木の中に飛んで行ってしまった時は、なかなか見つからない。その時、雛は逃げまわらないのが救いだった。

やっとのこと、雛を枝につかまらせることができたと思ったら、今度は逆さになったまま。まったく体勢を起こそうとしないばかりか、力尽きて落ちてしまいそうだ。仕方なくまたやり直し、雛をもう一度別の枝にとまらせてたった。やっとのこと雛を巣の近くのところに置くことができた。
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しばらくすると親鳥が戻ってきた事を確認できたので、後は親鳥に任せれば、飛び出した雛もまた巣に戻れるだろう。と思った。

「エッー!?」
みんな出てきちゃうの!?

飛び出した雛が巣に戻るどころか、親鳥が戻ってきたら他の雛たちも巣から出てしまった。

どうやら、親鳥が今日の日を予定していたのかどうかは解らないが、急に雛たちにとっては巣立ちの日になってしまったのだろうか。
始めは巣の周りを動き回っていた雛たちの一羽が、「えっ!」今度は自分から隣の大きなヤマボウシの木の方に飛んでいった。今度は親鳥がいるので、親が承知している訳だから問題ないのだろう。「本当に大丈夫なのかなー…」

雛鳥は全部で4羽のようだ、中の1羽は一度も巣から身体も出していないように思う。今もその1羽だけはほとんど顔も巣から見せない。
この一羽はどうなるのだろうか。この一羽を残して三羽だけが巣立っていくのだろうか。

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時間がたつと巣の在る木に残っているのは二羽だけになり、相変わらず巣にこもっている一羽と、もう一羽が枝伝いに木の上の方に行こうとしているようだ。

飛び立った方の雛は、一羽は何とか大きなヤマボウシの木の上の方まで上っている。最初に自分から飛び出していった奴が何とか自力で上まで行けたようだ。
もう一羽は一番上の雛なのだろう、一軒置いた先の水天宮神社の方に無事飛んで行った。メジロ-4.jpg

しばらくすると、巣から離れていた一羽が再び巣に戻ってきてしまった。やはりまだ巣立ちはしたくないのだろうか。結局、巣から一度も出た事の無い一羽と、再び巣に戻った一羽の二羽が巣に残っている。


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親鳥は、離れている雛に関わっているのか、巣の方にはほとんど戻って来ていないようだ。

「あらま…」戻った雛は気持ち良さそうに寝てしまった。
初めて巣から出て、木の枝を行ったり来たりしたので疲れてしまったのだろう。


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隣の大きなヤマボウシの木に止まっている雛も、一休みしているようだ。
ところが、しばらくするとこちらは、親鳥から餌をもらって腹ごしらえのようだ。






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2005.6.9  思わぬリンク < 天の園製作委員会 >

思わぬところから私のこの随想録ページにリンクをしていただいた。しばらく前に、私が代表をさせて頂いている市民団体のサイトの方へのリンクのお話をいただき、快く承諾させていただいたのだが…。
私は、埼玉県の東松山市に生まれ育った。子供の頃遊び場というと、近くの雑木林や原っぱだった。そして、夏休みには都幾川という市内を流れる川の一つに毎日のように水遊びに通っていた。私の小学校の頃には、学校にはまだプールが無かったので、夏はほとんど可能な日は毎日都幾川に行っていたように思う。私が泳ぎに行くのは、だいたい唐子橋の辺りで、おとうか橋の方に泳ぎに行くのはたまにのことだった。おとうか橋の方には、父に連れられ良く釣りに行ったのを覚えている。
その都幾川、おとうか橋等のある唐子が舞台のアニメ映画「雲の学校」が制作され、5月22日に私たち市民(アニメ「天の園」上映委員会)が中心となって、全国に先駆けてその舞台となる東松山市で上映会を開催した。そのアニメの原作は、唐子を舞台とした児童文学小説、打木村治の「天の園」である。その「天の園」がアニメになるというお話を頂いたところから、ぜひそのアニメを成功させようと市民が一丸となって上映の日に

至ったわけだ。そして、東松山市を皮切りに、吉見、所沢、比企郡、埼玉県、全国へと広め、多くの子供たちやお母さんたちに、このアニメ「雲の学校」を観てもらいたいと思う。その応援をしている団体の一つに私も私たちの会も参加している。
私たちの会の活動の一つに、八幡沼という湧水池の保全活動がある。その八幡沼はアニメの舞台となる唐子にあり、その名前の由来となる八幡神社は小説にも出てくる場所で、会でも作家・打木村治についてのセミナーを開いたりしていることが、検索ロボットに引っかかり、天の園製作委員会からのリンクの依頼となったようだ。
前置きの説明が長くなったが、私たちの市民団体の方へのリンクというお話から、私の仕事関係のサイトも見ていただき、その中のこの随想録のページへのリンクをして頂いたということらしい。
ここでは、なかなか原作の小説「天の園」やアニメ「雲の学校」のことについては説明できないので、ぜひ関係サイトをご覧いただくと共に、アニメ「雲の学校」をご覧いただきたい。


2005.4.18  <やっと随想録も書き込んでいけるようになりました。>

大変時間がかかってしまいましたが、どうにか書き込んでいけるようになりました、これまでは鈴木さんにアップしてもらわないと新しい文章を簡単に入れられませんでしたが、これからは私だけで書き込んだり、変更したりできるようになりました。鈴木さんにはお忙しい中大変感謝です。とは言ってもどれ位の間隔で書き込んでいけるか解りませんが、読んで頂ける方にはお許しを頂きたいと思います。先ずは古いものから入れておきますので、よろしくお願い致します。


2004.6.14  はじめに

数年来考えていた自分のWEBサイトが、何とか立ち上げられることになりました。自分の仕事に関することが中心になりますが、できるだけ多くの私を支えてくれている人たちも含めてご紹介できるサイトにして行きたいと考えています。そしてこのページでは、私の建築やデザインに関しての考えや、その時々の折に触れての思いを、少しずつ自由に綴って行きたいと思っています。時には、お読みいただいた方に不愉快な思いをさせてしまったり、違った考えの方がいらっしゃる事もあるとは思いますが、できるだけ思うままに書いていきたいと思いますので、ご理解いただきたくお願い申し上げます。

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